第1章 カトリック学校

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  第2バチカン公会議

 カトリック学校とは何かという問いに答えるには,イエス・キリストに依る他はない。その「キリストのからだ」(1)である教会は,第2バチカン公会議(1962年〜1965年)において,『キリスト教的教育に関する宣言』(“Gravissimum educationis ”)を出した。その中で,「カトリック系学校の固有の使命は,学校内に自由と愛の福音的精神に満たされた学校共同体のふんい気をつくること,青少年が自分の人格を発展させると同時に,洗礼によって新しい被造物となった青少年は新しい被造物として成長するように助けること,また生徒が世界,生活,人間について徐々に習得する知識が信仰に照らされるように,人類の全文化を究極的に救いの知らせに秩序づけることである。こうしてカトリック系の学校は,進歩する時代の状況に対して開放的態度をとりながら,地上の社会の福祉を効果的に促進させるよう生徒を教育し,かれらが神の国の拡張のために奉仕するよう準備させる。それは,生徒が模範的および使徒的生活の実践により,人間社会にとって,いわば救いのパン種となるためである。したがって,カトリック系の学校は,神の民の使命を果たすうえに大いに貢献し,教会と人間社会相互間の利益のため両者の対話に役立つことができ,そのために現代の状況のもとでもきわめて重大な義務を有している。」(2)と宣言している。信者の生徒も教職も少数である日本のカトリック学校にこの内容がどれだけの意味を持つものかと思うが,宣言は,カトリック学校の多様性にも言及し,「なんらかの意味で教会に依存している学校はすべて,カトリック系の学校のこの理想像にできるだけ合致しなければならないが,一方またカトリック系の学校は地域的な事情に従って種々の形態を取り入れることができる。実際,教会は,特に新しい教会の地区において,カトリック信者でない生徒をも在学させているカトリック系の学校を高く評価している」(3)と続けている。とすれば,日本のカトリック学校は最も高く評価される部類に属するであろう。日本のカトリック学校は,殊に首都圏を中心に,偏差値の高い生徒を集めるというカトリックとは無関係な地域的な事情に大きく依存している。

 

 カトリック教育聖省

 この第2バチカン公会議の宣言を受けて,ローマのカトリック教育聖省は1977年3月に『カトリック学校』を,1982年10月に『学校に働く使徒の使命』を発布した。前者はカトリック学校のあり方に関する要請であり,後者はカトリック学校に関わる教職員,設置者,地域の教会,修道会,親にあてての教書である。これらもまた,先の『キリスト教的教育に関する宣言』と同様に生徒・教職の大部分が信者ではない日本のカトリック学校には必ずしも合わない部分が多々あるという発布当時からの指摘(4)を知った上でも,発布から20年経った今日なお日本のカトリック学校に貴重なメッセージを送っている。

 例えば,カトリック学校の任務とは何か?前出の『カトリック学校』では,「カトリック学校の任務とは,一方で文化と信仰を,他方で信仰と生活とを,調和的に一致・統合させることである。そしてこの一致・統合は,前者にあっては,さまざまな分野におけるこの世の知識を教材として,これを福音の光のもとで習得することにより,また後者においては,キリスト者の特徴である種々の徳を身につけ,これを養うことにより達成されるであろう」(5)と,任務のみならず,その達成の方法まで示し,そこに働く者には「カトリック学校は教育のすべてを通して,キリスト教的価値観の証しをたてようとする人々が集う場所とならなければならない」(6)と要請する。

 また,「カトリック学校は,あらゆる人々のうちに聖霊が働いていることを固く信じているので,キリスト者でない人々にも,その独自の教育計画と手段とを提供する」(7)との「非キリスト者への奉仕」という小見出し中の考察は,日本のカトリック学校こそ真正面からとらえることができよう。

 

 日本―――『カトリック学校の充実を求めて』

 「カトリック学校は日本社会に福音の光を伝えるためのもっとも重要な場の一つです」と,1987年に開催された福音宣教推進全国会議(8)は表明した。しかし,それは当時のカトリック学校の現状を言い表すものではなかったことは,この会議が同時に「カトリック学校教育の現状と課題を再検討する」ことを提案し,直後に司教総会はこの提案に応えていく方針を決定したことを見てもわかる(9)。そして,中央協議会の学校教育委員会というところが中心になって,再検討の作業が開始され,1990年には,『カトリック学校の充実を求めて』というまとめが,カトリック中央協議会学校教育委員会から出された。この冊子は,非常に多くの日本のカトリック学校現場で読まれ,研修会のテキストとしても用いられており,1996年までに6刷(約6000部)を重ねた。ただし,一部のカトリック学校現場では,その存在すら知られておらず,残念であると同時に,そのこと自体,カトリック学校の抱える問題の一つに数えられよう。

 さて,その『カトリック学校の充実を求めて』の巻末資料に,「カトリック学校は教会から派遣されているという事実を再確認し」という一節がある。これは,先の福音宣教推進全国会議の呼びかけを受けて1988年に東京で開催された「カトリック学校校長・理事長研修会」において,『確認』として同意されたことがらの冒頭に述べられているが,この「教会からの派遣」という事実こそがカトリック学校の出発点であり,実際,その学校の所在する教区の司教が認可することによってカトリック学校を名乗れることになる。したがって,そこで働く者には,カトリック学校としての特徴を活かしていく義務と責任が生じる(10)。そして,それは信者教職員にのみに課せられたものではない。

 日本では,信者のみでカトリック学校を運営していくことは不可能であるし,そうしたところで学校としての質が高まるわけではない。むしろ,7割以上を占める,カトリックの信仰を持たない人の尽力があったからこそ,カトリック学校は現在のような社会的評価を得るに至った(11)。が,カトリック学校を評価する基準は社会的評価だけではない(12)。カトリック学校の魂はキリストである(13)。したがって,福音的価値観に基づいた評価こそがカトリック学校を評価するのに値する。だから,カトリック学校に関わるすべての人には,必然的にイエス・キリストに何らかの形で触れ,学ぶことが要求される(14)。それは,要理を学んだり,信仰を持つようにするということとは,当たり前だが,全然異なる。むしろ,創立者の建学の精神を学ぶといった方が現実的である。これは,カトリック学校に限らず,私立学校に勤務する者の最低限の研修だろう。多くの場合修道者である創立者は,イエス・キリストのメッセージを伝えるために,日本でカトリック学校を建てた。だから,建学の精神を学べば,自ずとイエス・キリストに行き着く。

 ところで,福音的価値は社会的評価にまさるものではあるが,それは社会的価値観と必ずしも相矛盾するものではないことも確認しておきたい。

 例えば,社会的に評価される学力の向上。神がその人に与えた賜を活かすように手助けすることは,それこそ福音的な仕事である(15)。よく,カトリック学校として,こころの教育と学力のどちらに力を入れるか,あるいは,その「2本立て」などという議論があるが,表面的であるといわざるを得ない。むしろ,それらは目的と結果であるといえよう。学力向上はカトリック学校の福音的仕事の結果である。ただし,個々の教科活動・授業にあっては,それが目的になる場面は想定される。したがって,当然だが,カトリック学校が進学校になっても,そのことで批判されることではない。先の『カトリック学校の充実を求めて』では,競争原理も否定していない(16)。だが,だからこそ大切になってくるのが,福音的価値観である。この点について,『カトリック学校の充実を求めて』は,その冊子の結び近く「進学・受験戦争の現実の中で」という小見出しの中で,「問題はその競争の背後にある人生観・価値観であります。もしそれが,ひたすら物的向上をもとめるだけのもので終わるならば,それは人間の一生は神に向かう旅であり,神の中に人生の究極の完成があるというカトリックの世界観から肯定できないことであります。また,他を顧みる余裕のないものであるならば,それは「私が愛したように互いに愛しあいなさい」というキリストのメッセージとは相いれないものであります。また競争に勝ち抜くことだけが人生の只ひとつの目標であるかのように思い,人間の評価がそれで決まると思いこんだものであるならば,それは「たとえ全世界を手に入れても魂を失うのならば,なんの益になろう」というキリストの価値観とは相反するものであります。福音に基づいた総合的な価値観・世界観を園児・児童・生徒・学生に伝えていくことは無論のこと,その親,そして社会に訴えていくことはカトリック教育に携わる者すべての大きな使命の一つだと思います」と括っている。

 

 教会から派遣された学校

カトリック学校は教会から派遣された学校である。教会には使命がある。したがって,カトリック学校はその使命に参加しなければ,社会的評価の高い学校であっても,カトリック学校としての存在意義はない。教会の使命は,すべての人に救いの福音―――イエス・キリストのメッセージを伝え,キリストに生きる新しい人を作り出し,社会を刷新していくことにある。だが,カトリック学校の使命はこれと同じではない。なぜなら,カトリック学校は,教会そのものではなく,また,公の教育機関であるからである。しかし,カトリック学校の使命は,教会の使命と無関係でもない。創立者は教会の使命の中で学校を創立した。

カトリック学校の使命とは何か。それは,イエス・キリストのメッセージの核心部分を,これから社会に巣立っていく若者たちに伝えていくこと。カトリック校での進路指導や生活指導などは,その下ではじめて意味が出てくる。ましてや性教育などはそうであることは殊更言うまでもないことである。

「あなたは大切な人なのだ」。これがイエス・キリストのメッセージ。「あなたの生には価値がある。あなたにいてほしい」。このことは,他人も大事なのだ。生命そのものに価値があるのだということと同値でもある。

踏み込めば,いのちの重さとすばらしさ。これをカトリック学校は,そこに集う児童・生徒・学生に伝えていく大切な使命を持っている。いのちの重さとすばらしさ,これを疑うことなく自信を持って若い世代に堂々と伝えることができるのは,カトリック学校の優位性である。

「カトリック学校は,他のすべての学校にまさって,生きることの意義を伝えることを第一とする共同体でなければならない」(17)のだ。(大矢正則)

第1章の註

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